「銀座ソニーパークプロジェクト」が始動

2016年6月13日、ソニー(6758)は新たな時代への挑戦を象徴する事業として、東京・銀座のソニービルをリニューアルする事業計画「銀座ソニーパークプロジェクト」を発表しました。

2016年はソニーが創業70周年を迎える年であると同時に、ソニービルにとっても50周年の節目の年です。今回のプロジェクトは、次の50年を見据えて、ソニービルをよりいっそう魅力のある“ソニーの新しい情報発信基地”として生まれ変わらせるためのものと位置づけられています。

現在のソニービルは2017年3月末にクローズして解体され更地となり、2018年から東京オリンピックが開催される2020年までは、ニューヨークの「タイムズスクエア」の階段広場のような音楽やスポーツイベントが行われる「銀座ソニーパーク」として生まれ変わります。その後、2020年秋からは次のステップとして新ビルの着工を開始し、2022年秋に新ビルの営業を開始する予定です。

創業者が果たせなかった夢を実現?

ここでふと疑問に思ったのは、オープンスペースとして新たな情報基地とするアイデアは素晴らしいと思いますが、なぜそれが期間限定なのか、また、なぜ現在のビル解体後すぐに新ビルの着工を開始しないのかということです。

真意は確かめようがありませんが、東京オリンピック開催前よりも開催後の方が建設費を安く抑えられる、あるいは、消費税増税が延期されるほどに景気見通しが不透明であることなど、諸事情が推測されます。

そうした疑問を抱えながら、1966年に銀座ソニービルが建設された当時の模様が詳細に述べられている「ソニー自叙伝」(ソニー広報部著、ワック社)を読み返してみると、いくつかの答えとなるヒントがありました。

そこには、ソニービルを設計した著名建築家の芦原義信氏(1964年東京五輪会場の1つである駒沢競技場の設計者)とソニーの創業メンバー・盛田昭夫氏の、デザインに関する以下のような会話が記されています。

芦原氏:「少しぜいたくだけど、ビルの角に庭を作ってはどうだろう」
盛田氏:「実のところ、自分も、ニューヨークのロックフェラーセンタービルのように大きなクリスマス・ツリーやスケートリンクがあったりして、人を楽しませるものにできないかと考えていたんだよ」

実際のビルにはスケートリンクは作られませんでしたが、このような構想があったことは非常に興味深い事実です。

また、同書によると、ビル建設の決定は1962年でしたが土地取得に2年間を費やしたため地鎮祭は1964年となっています。さらに悪いことに、東京オリンピック開催と重なって基礎工事の進捗が遅れ、竣工は1966年にずれ込んだということも述べられています。

こうした歴史的事実を踏まえると、今回のプロジェクトが空地を作ってからビルを建設するという2ステップとなっている理由は、創業者が実現できなかった構想を実現するということや、オリンピック期間中の大型ビルの建設は避けるべきという過去の教訓を生かしたことなどが背景にあるという推測も可能ではないかという気がしてきます。

昔話はもうやめよう。今後のソニーに期待

50年前のプロジェクトは土地取得やビル建設費の総額が32億円と、当時のソニーの資本金と同額であり、売上高が500億円にも満たない“中小企業”で主力製品がテープレコーダーぐらいしかなかったソニーにとっては、極めてリスキーなプロジェクトでした。

一方、現在のソニーの売上高は約8兆円、純資産(少数株主持分を除く)は約2.4兆円です。また、現在のソニー銀座ビルの地価は約250億円(2106年の公示地価より筆者が推定)に上昇しています。

ソニーも時代も大きく変わりました。ただし、筆者の推測が正しければ、現在のソニーのマネジメントは、創業者の理念や教訓を活かそうとしていることになります。

今回のプロジェクトの紹介動画にあるように、昔話をすることにはあまり意味はないものの、これが50年前のソニーにあったリスクを恐れず新しいことに挑戦する企業家精神を呼び覚ますきっかけになることには大いに期待したいと思います。

 

LIMO編集部