ロンドンの美術館で目を奪われた、日本の美しい工芸品

海外に暮らしたことがある日本人ならほとんどの人が認識できる、”日本のすごさ”と言うべきものがあります。

たとえば、清潔な街やまじめで礼儀正しい人たち、日本各地に無数に存在する名所やお土産、時間に正確な公共交通システム、安くて美味しい食事など、日本に住んでいると当たり前に存在しているものが、実は極めて独創的で世界に誇れるものであることを、海外に住んで初めて実感できることが多いのです。

筆者は欧州に住んでいるとき、日本の伝統工芸作品の素晴らしさに心を奪われました。きっかけは、ロンドンのビクトリア&アルバート博物館に常設展示されている明治期の七宝作品に遭遇したことです。

完全にアートの素人である筆者は、七宝というのは祖母が持っていたブローチのような印象しかありませんでした。しかし、博物館にはまるで絵画のタッチのようなグラデーションがかかり、さらに微細な模様が施された作品が展示されていたのです。

このような非常に美しい工芸作品が明治期に作られ、当時は海外に向けて盛んに輸出されていたことを後から知りました。以来、並河靖之や濤川惣助という明治期の七宝を代表するアーティストの大ファンとなり、関連する書籍を買い集めたり、ロンドンでのオークションハウスに足繁く通ったり、京都の祇園にある古美術街にも足を運ぶようになりました。

ロンドンやニューヨークのオークションハウスでは、これらの作品も取引されており、筆者もオークションに参加しながら勉強していました。オークションの素晴らしい点は、ビッド(入札)を入れる時のエキサイティングな瞬間だけではなく、実際にオークション作品を自分の手に持ってさわることができる点です。買わなくても、また実際にオークションに参加しなくても、オークション前の見学会で自分の手に取ることができるのです。

オークションの対象となる作品の中には、予想落札金額が1,000万円以上の高価なものもありますが、それを自分の手でさわれてしまうのです。最初は本当に緊張しましたが、慣れてくるとくるくる回したりして、作品をじっくり見て楽しむことができました。

そのような日本の古美術オークションをロンドンで定期的に開催していたのは、Christie’s(クリスティーズ)とBonhams(ボナムズ)でした。これらの大手オークションハウスはオンラインオークションにも対応しており、ネット経由でのリアルタイム・ビッドが可能です。オークションハウスが作成する出品作品のカタログには精緻な写真が載っており、日本の伝統工芸作品の美しさが際立っていました。

明治期に輸出された「超絶技巧」作品を鑑賞できる清水三年坂美術館

日本において、微細加工を施された明治期の伝統工芸作品の美しさを現代の世に伝えた第一人者が、京都の清水三年坂美術館館長の村田理如氏です。村田館長は、明治期のこれらの作品を「超絶技巧」を施した作品として、様々な書籍やご自身の美術館を通じて情報発信されており、清水三年坂美術館以外でも明治期の「超絶技巧」作品が広く展覧されるきっかけを作られた功労者です。

「超絶技巧」の作品は、明治期に輸出用や海外VIP向けに製作されたものであったため、国内では存在がほとんど認識されていませんでした。海外で大切にされていた作品を買い戻し、素晴らしいコレクションを形成し、京都で美術館まで作られたのが村田館長です。明治の日本人が尽力した作品を現代の日本人にも伝えたいという強い想いが、清水三年坂美術館では伝わってきます。

「超絶技巧」と称される明治期の作品は、前述の七宝に限らず、金属部品の微細加工(金工)、貴金属や貝殻による装飾を施した漆塗りの作品(蒔絵)、虫眼鏡を使わないと全貌が認識できないほどの微細な塗りを施した焼き物(薩摩焼)などもあり、これらの優れた作品を清水三年坂美術館で見学することができます。

明治期には、これらの工芸作品が活発に輸出され、各地の産業として殖産興業に貢献しました。そもそも江戸時代の武家社会において豊かな装飾の文化があり、その後の武家社会の終焉、外貨を獲得する産業としての勃興などの歴史的背景も、現代では再現が非常に困難であると言われる「超絶技巧」の作品が明治期に生まれる幸運をもたらしてくれました。

オークションハウスの日本美術担当者やロンドンのアートディーラーに聞いてみると、明治期の「超絶技巧」作品のような、強烈なオリジナリティがあり、さらに再現不可能な超微細加工が施され、現代でも生き生きとした様子を伝える作品群は、他には見当たらないということでした。

そんなことを聞いた筆者は、身震いするとともに嬉しくて仕方がありませんでした。日本は日本人が思う以上に、深く大変豊かな文化を持っている、そんな事実を知るきっかけを与えてくれたロンドンでの遭遇でした。

小田嶋 康博