オープンカーの幸せは「日常」にある「非日常」な時間

五感とココロを刺激する~クルマと遊ぼう(9)

筆者撮影

こよなく嬉しかった”非日常の出来事”

ブラックタイガー、バナメイえび・・・スーパーマーケットに行けば普通に目にする、”庶民のお財布に優しいエビ”の代表選手。でも、私が子供の頃、こいつらはいなかった。だからエビはご馳走だった。そして小さい頃からとにかくエビ好きだった。

おめかししてお出かけするのは面倒であったが、お好み食堂でエビフライが食べられることが分かっていたから、母親の買い物の間、文句を言わずにおりこうさんを通した。お客さんが家に来ると、大人しくしているのが嫌で外に遊びに行きたかったのだが、お蕎麦屋さんから出前を取るのが分かっていたので、一緒に天丼を頼んでもらうまでは「じっと我慢の子」だった。

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おそらく当時はブラックタイガーに代表される、大量生産が可能で安価な養殖エビはまだ流通していなかったはずだから、私が大好きだった天丼もエビフライも車エビを素材にしたものだったと思われる。

当時から食いしん坊だった私は、毎晩天丼やらエビフライやらエビチリやらのエビ三昧だったら、どんなにか幸せだろうと、エビづくしの毎日を夢見たものだ。しかし現実には、自分ではどうにもならないお出かけやお客さんの来訪といった非日常の出来事をきっかけに訪れるチャンスであったゆえ、ことのほか嬉しかったのだと思う。

もし、このエビ達が明けても暮れても食卓に並ぶような、日常に埋没しきった当たり前のものであったならば、味わいのみならず、鼻腔全体で風味を楽しむほど、エビをいただくことに集中しなかったに違いない。 

さて、お題は「エビ」ではないので本題に移る。

ミニバンの便利さが「日常」になっていたが

クルマという工業製品が本来担う機能を改めて確認するならば、ざっくり言って「合理的な移動手段」「機動性に優れた輸送手段」に集約されるだろう。

この主たる機能だけ満たせばよいと割り切れるならば、現在のような百花繚乱の体をなす自動車業界の繁栄はなかっただろう。「移動する」「運ぶ」に加えて、安全性や経済性、快適性や独自性といったさらなる要求に応えていった結果、今日の多彩なラインナップがもたらされたと言える。

私がまだ鼻タレ小僧だった頃(昭和40年代)は、家族のためのマイカーといえばセダンであり、魚屋さんや八百屋さんはオート三輪かボンネットトラックに商品を積んで、自宅の近くに来てくれていた。生意気な高校生になる頃には、クーペやハッチバックが流行りだし、当時の憧れは赤いマツダのファミリア(323)だった。

「いつかはクラウン」が筆頭の、お父さんのための箱型セダンは、コロナから独り立ちしたマークⅡが絶頂期を迎えていた頃だ。さらに、時代はプレリュードやソアラに代表されるスペシャリティカーやハイソカーといったカテゴリーを生み出した。また、ひと昔前までのバンからファミリーユースを前提としたステーションワゴンが派生し、ワンボックスからは現代の主流ともなったミニバンが生まれた。

VWゴルフを夫婦のクルマとしてスタートした我が家も、アウディやポンティアックとセダンを楽しんでいたが、息子が生まれてからはオペルアストラワゴンからホンダステップワゴンに移行し、シボレーアストロへともっぱらファミリーユース優先の車種を選択した。当時家族でキャンプにハマっていた我が家にとって、アウトドアのみならず普段の買い物にも使えるミニバンは、極めて多目的に使える便利な存在であった。

シートを倒せばフルフラットになり、どこでも好きな時に横になってくつろげる車内空間は、小さな子供を持つ家庭にとってはとても使い勝手のよいものではあった。しかし一方で、緊張感やスリルとは無縁な運転感覚や、自宅のリビングが移動しているという日常生活の延長にあり続けているような感覚が、なんとも刺激や面白味がないように思えてきた。

結果、我が家のミニバンは、家族が何かを楽しむ時に移動するための脇役に過ぎず、学生の頃から続いていた「クルマを楽しむ」「クルマで遊ぶ」という、「ボクもクルマも両方主役」的なパートナー関係のような感覚は持てない対象になってしまった。

そうなると、趣味と遊びを最優先した「もう一台」が欲しくなってくる。ならば、と一念発起して横須賀まで家族全員で見に行って、即決で買ってきちゃったのが真っ白なシボレーカマロ コンバーチブルであった。

オープンカーならではの五感とココロで感じる幸せ

まさにミニバンとは対極に位置するオープンカー。アメ車大好きな息子は大喜び。かみさんも「仕方ないなあ~」という顔をしつつも楽しそうだった。ボディ剛性はユルユルで、とてつもなく長いノーズの無駄に大きな車体だったが、幌を開けて走るいつもの道は走る楽しさを再び感じさせてくれた。

オープンカーで走ると、普段の「日常」の生活では意識しなかった世界を強く感じることができる。冬の夜はキーンと張り詰めたような冷たい風を顔に感じ、見上げれば何も遮るものなく広がる星空。走りすぎる昼間の街の雑踏からは、前からも後ろからも様々な音がパノラマで飛び込んでくる。

周囲の景色の変化と一緒に、視覚のみらず嗅覚も楽しませてくれるのは、「食欲をそそる鰻屋さんのいい匂い」、「大きく吸い込みたくなる金木犀の香り」、「夕立を予感させる雨降り前の匂い」などなど。

こうした様々なものに意識が向くことの面白さ。これはまさに「非日常」の感覚。

遠くまで旅行に行かなくても、人工的に作られたアミューズメントパークに行かなくても、自分の「日常」の生活圏にいながらにして、たっぷりと「非日常」を味わえるのは、オープンカーのみが持つ素晴らしい世界だ。だから我が家には、車種は変われど常に何かオープンカーが手元にあって現在に至るのである。

鈴木 琢也

ニュースレター

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鈴木 琢也

約30年にわたり一貫して人事のビジネスキャリアを持ち、輸入車ディーラー、電子部品、マーケティングリサーチ、食料品メーカー、国際航空貨物等、多岐にわたる業界を経験。加えて、ヤナセにてセールスマンの教育担当、J.D.Powerにてクライアントの顧客満足度向上支援のためのコンサルティング部門を立ち上げ高い評価を得る。
現在は ITW(Illinois Tool Works)の自動車部品製造における日本法人、ITW Automotive Japanにて人事責任者を担当。
プライベートでは根っからのクルマ好き。特に輸入車の所有歴はフェラーリ、ポルシェ、BMW、キャデラック、フィアット、マセラティ等々、延べで100台近くを乗り継いで現在に至る。人生最後に乗りたいクルマはデトマソ・パンテーラという、いわゆるスーパーカー世代。