京都国立博物館で始まった特別展覧会「国宝」

京都国立博物館では、10月3日~11月26日の日程で、特別展覧会「国宝」が開催されています。

京都国立博物館の前身である帝国京都博物館の開館から数えて120年を記念した展覧会ですが、「国宝」という言葉が生まれたのもちょうど120年前のことだそうで、今年は2つの意味で節目の年にあたるようです(当時の国宝は、現在の重要文化財にあたり、今とは少し概念が異なります)。

今回の展覧会では約200件の国宝が集まります。4期にわたって少しずつ展示品を入れ替えていくため、一気に200件の国宝を見ることができるわけではありませんが、それでも、これだけの国宝が集結するのは大変珍しいことのようです。

日本にある国宝の数

文化財保護法に基づき、重要文化財として指定されているもののうち、特に重要なものが「国宝」として指定されています。

2017年9月1日現在、重要文化財は13,128件(美術工芸品10,654件、建造物2,474件、件数には国宝を含む)ありますが、そのうちの1,101件(美術工芸品878件、建造物223件)が国宝に指定されています。重要文化財の12件に1件が国宝という計算になります。

戦前に存在した法律から現在の文化財保護法に変わった1951年に、181件(美術工芸品144件、建造物37件)が国宝として指定を受けました。その後、1950年代~60年代にかけて集中的に指定が増え、今の状況が形作られてきました。現在でも、年に数件ほどの追加指定があるので、国宝はじわりと増え続けています。

なお、国宝1件は1アイテムとは限りません。日本史の教科書でおなじみの「金印」(「漢委奴国王印、かんのわのなのこくおういん」)のように、1アイテムで1件とされるものもあれば、「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」として今年世界遺産に登録された福岡県の宗像大社からの出土品のように、一括指定により、約8万点のアイテムが1件の国宝として扱われるものもあります。

今回の京都国立博物館の特別展覧会では、建造物以外の動かせる国宝878件の約23%が京都国立博物館に集結するということなので、めったにお目にかかれない機会であることがうかがえます。

年間300万~400万人を動員する国立博物館

国立博物館と名がつく博物館は、京都のほか、東京、奈良、九州にあり、この4つの国立博物館は独立行政法人国立文化財機構により運営されています。国立文化財機構の体制になった2007年度以降の入場者数の推移を図表にしてみると、年間300万人~400万人の間で推移していることが分かります。

出所:独立行政法人国立文化財機構「事業報告書」より筆者作成

国立博物館では平常展と特別展を開催しており、特別展の動員力の強弱がその年の入場者数に大きな影響を与えます。2009年度に502万人にまで急増したのは、東京と九州で開催された「国宝 阿修羅展」で165万人を動員したことによるものです。

かたや、一部改修工事の影響があったと思われますが、インパクトのある特別展がなかった2013年度は苦戦し、2007年度以降で初の300万人割れとなってしまいました。

その状況を救ったのが、「翠玉白菜」等の世界史の教科書に出てくるような国宝級のものが複数出展され65万人を動員した「台北 國立故宮博物院展」(東京・九州)や、38万人を動員した「日本国宝展」(東京)でした。その結果、翌2014年度の入場者数は389万人まで回復しました。

ここまでは、国宝や国宝級の出展ができる国立博物館の華やかな世界のお話です。それでは、博物館・美術館業界全体で見ると、どのような状況になっているでしょうか。

1館当たり入館者数が伸びない博物館・美術館業界

図表の通り、博物館や美術館全体で見ると、その数は頭打ち傾向にあるものの、過去25年間の期間で見ると高止まっているように見えます。一方、1館当たりの入館者数は、直近は下げ止まりつつありますが、長期的には低下傾向にあります(少なくともなかなか上がりそうにはありません)。

出所:文部科学省「社会教育調査」より筆者作成
注:施設数は博物館及び博物館類似施設の合計

博物館や美術館の経営の視点に立つと、1館当たりの入館者数を増やすか(少なくとも減らさないようにするか)が直面する課題であり、マーケティング力を持たないところが淘汰されていくことが予想されます。現に、「xx周年を機に閉鎖する」ケースや、札幌の渡辺淳一文学館のように、中国系企業に買収されるケースも見られるようになりました。

それぞれの博物館・美術館がマーケティング力を磨いていくことに期待をしたいところですが、この問題について即効性のある解決方法は見出しにくいのが現状かと思います。あえて私たちができそうなことと言えば、見ておきたい博物館や美術館には、今のうちに行っておくということかもしれません。

藤野 敬太