居酒屋で聞く、おじさんたちの昔話 Part.2

前回話題を呼んだ、仲町台の洋品店 Euphonicaの井本さんの持ち込み企画「90年代座談会」。社会現象を生み出すほどの隆盛を誇った90年代のファッションシーンについて、立場やスタンスが違うお三方の体験談をもとに、“消費者目線”での90年代を語って頂きました。

今回は“その後”である2000年代以降の話を交えながら、「自分に似合う服を見つけるためには」というテーマで、同じくお三方の思い出話を絡めながら進めていきます。ぜひお楽しみください。

メンバー紹介

井本 征志
洋品店店主。1978年神奈川県横浜市生まれ。大学卒業後さまざまな業界の職を経て、2015年地元である仲町台にEuphonica 開店。
Twitter:@Euphonica_045
Instagram:euphonica_yokohama

山田 耕史
ファッションアナリスト。1980年兵庫県神戸市生まれ。大学卒業後服飾専門学校に入学、渡仏。帰国後ファッション企画会社、ファッション系ITベンチャーを経て現職。ブログを中心に誰もが簡単にファッションを楽しめる情報を発信中。
Twitter:@yamada0221
Instagram:yamada0221

齋藤 大介
偏屈アメカジ・マニアの一般サラリーマン。1979年山形県米沢市生まれ。エンタメ関連のお仕事。前回の対談から10kgの減量に成功。
Twitter:@saito_d
Instagram:saito_d

時代と年齢による好きの変化

 

編集部:今回の座談会ではこの前の流れを引き継ぎつつ、「似合う服」をテーマにお話できたらなと思います。この前は10代中心だったので、まずはお三方が90年代を経て、20代〜30代でどのようにスタイルが変わっていったのかを話してもらえますか?

井本(以下I):この前の続きということは、2000年以降からですよね。20代半ばくらいは、働き出して結婚もしていなくて、一番お金使ってた時期。バーニーズに通ってて、「SLOWGUN」や「ATTACHMENT」に「collection PRIVEE?」のブーツとかそんな感じ。で、長髪に髭(笑)。

 

I:この当時の免許証の写真ね。テロリストって言われてた。

編集部:(笑)。これは社会人1、2年目とかですか?

I:たぶん3年目ですね。僕は社会人1年目は大学5年生と被るという残念なケースでした。だから転職するたびに「履歴書の内容間違えていないですか?」って言われる(笑)。

編集部:確か、この頃はバンドもやってたんですよね?

I:恥ずかしながら。バンドはロックじゃないのになぜか妙にロックっぽい格好をしていたんですよね。強いて言えば今でいうシティーポップみたいなのをやってたんですけど。

一同:へぇー

I:最初は8人ぐらいでバンドをやってたんだけど、僕が「百均でコップを買うな」とか「マルイの敷居をまたぐな」とか、メンバーの私生活に口を出し過ぎて、みんな辞めちゃって。最終的には2人になった(笑)。

ちなみに、この写真の頃はアタッチメントの黒いジャケットに合わせて「LOUNGE LIZARD」の超極細ブラックジーンズなんて穿いてね。パンツは一番小さいサイズを選んでいて、ストレッチも入っていないデニムだから、僕の細い脚でも膝が曲がらなかったくらい(笑)。

そこから「MATERIAUX(マテリオ)」の服とかに移った。今でいう「L'ÉCHOPPE(レショップ)」を暗くした感じかな? それがファイヤー通りにあって、そことかで買った服を僕らステージ衣装にもしてたんですよね。

齋藤(以下、S):マテリオ懐かしい! デッドストックのジャックパーセルとかLOLOとか買った。

編集部:そこから今のスタイルになっていくんですよね。

I:鹿児島の「Cape Cod(ケープコッド)」というお店の影響もあって変化しました。そこで「Scye」とか「nisica」とかを買いだして、だんだんナチュラルというのじゃないけど、崩れていって、洋服って楽な方がいいな、脚が曲がらないジーパンは体に悪いなと(笑)。

そうだ、大事なお店言い忘れてた。2005年ぐらいに渋谷に「ILLMINATE(イルミネート)」ができて、インポートの面白さを思い出したんですよ。その当時なかったアプローチが新鮮で。たぶん開店してそんなに経ってない時期だったと思うんだけど、ある日渋谷を歩いていたらボロボロのコンバースを置いた看板がふと気になって、入ってみたらパラダイスだった(笑)。

で、2007年にアパレルの会社に入ったら、社風として紺のジャケット、グレーパンツ、革靴が基本だった。僕は商品部だったからもっと自由にさせてもらえたけど。そこで折り合いをつけつつ、だんだんと今のスタイルになっていきましたね。

左:齋藤、右:山田

 

S:聞いていると、20代以降はみんな方向性が違うんですよ。僕は若干井本さんと近い部分もありつつ、20代は基本インポート物で、神戸の「Bshop」とかの感じが好きでした。そのときは千葉市に住んでたんですけど。

I:大学が千葉とかで?

S:そう。そのときにインポートがメインの「LUMIERE(リュミエール)」(*1)というセレクトショップができて週一ペースで通ってたけど、大学生だったから多くは買えないんです。Barbourとかユーロワークとか、MONCLERもブレイク前からあったり。

それと同時に上野へ通い出しました。たまたまアメ横へ遊びに行ったときに、タグが日本語じゃないバキバキの並行輸入モノがたくさん売られてるのを見たのが衝撃で。それをずっと引きずってて、今もインポートが好きです。

編集部:齋藤さんは今のスタイルとの繋がりもすごく分かりやすいですよね。

S:僕はお仕事じゃないから、好きな物が決まったらわざわざ広げる必要はないんで。基本的にはアメリカ物で好みが決まった感じですね。それが20代終盤かな。

 

編集部:では、続いて山田さんいきましょうか。

山田(以下、Y):前回の座談会でお話したように、高校の頃はエアマックスとか履いていましたけど、本格的に服を買い始めたのは大学に入ってからですね。

最初はヴィンテージブームに影響を受けたアメカジで、実家の近所の古着屋で買ってました。それからはいわゆる丸井系(*2)。当時神戸には丸井はなくて、VIVREだったんですけど。丸井系からUNITED ARROWSやBEAMSなどの大手セレクトショップ、そしてデザイナーズを取り扱う個店系セレクトショップ、という流れですね。当時よく着ていたのは「CHRISTOPHE LEMAIRE (クリストフ・ルメール)」とか「YMC(You Must Create)」ですね。

一同:あー。

Y:その後、色んなデザイナーズブランドを経て最終的に「COMME des GARCONS(コムデギャルソン)」にどハマリする、という感じです。

あと、当時は「HUSSEIN CHARAYAN(フセイン・チャラヤン)」がすごく好きだったんです。あと、「VICTOR & ROLF(ヴィクター・アンド・ロルフ)」とか。ヴィアバス(VIA BUS STOP)系ですよね。そういった、当時人気のあったクリエイター色の強いデザイナーに憧れて、大学を卒業してから服飾専門学校のエスモードに入学しました。

S:大阪の方?

Y:そうですね。大阪校に入学してからパリにあるエスモード本校に留学しました。で、卒業して神戸に帰ってきて就活するんですけど、まぁ受からない(笑)。

一同:(笑)。

Y:関西におってもあかんなと思って上京して、友達の紹介で老舗メンズアパレルでバイトしつつ就活していたら半年後にファッション企画会社に受かって働き始めました。

アパレルメーカーや小売店に「次こんなのが流行りますよ」という情報を提供するのが主な仕事です。情報が命なのでいろんな店にリサーチに行くんですよ。しまむらからハイブランドの店まで、リサーチの対象は本当に幅広かったです。

S:そこから「分析」を始めたんだ。

Y:そうですね。ストリートスナップを撮って、ひとりひとりどんな服を着ているのか分析したり、トレンドブックをみたいなのを作ったり。地方の小規模なメーカーから、日本を代表する大企業まで、色々やらせてもらいました。

S:前回の90年代トークでは共通の話題で盛り上がってたのに、全然違うね。2000年を境に、時代的に道が一つだけじゃなくなったんだよね。

(*1)LUMIERE(リュミエール):99年頃、千葉市中央区の葭川公園近くに開店したセレクトショップ。欧米の老舗ブランドや、国内はTO KI TO、Scye、EELなどのブランドを取り扱っていた。その後、千葉PARCOへ移転していたが、5~6年前に閉店。
(*2)丸井系:首都圏を中心に展開するファッションビル、丸井に出店しているメンズブランドを中心にしたファッションテイスト。代表的なブランドはポール・スミス、メンズビギ、メンズメルローズなど。シルエットは細身で、キレイ目なイメージが強い。

「自分の視点が変わってくる」

 

編集部:90年代は似たところをきたお三方が全く違うスタイルを辿っているのは、何が原因なんでしょう?

I:環境はあるんじゃないでしょうか。僕は大学が表参道だったし、2000年代はほとんど方南町に住んでいて、職場も最初は地元とはいえ、次は下北沢、その次が池袋、それから恵比寿と、都内でももっぱら西側が行動範囲だったので。

S:僕は大学以降ずっと千葉県民です。千葉駅周辺はこの前初めてビームスがオープンしたくらいで。大きな街なのにファッションは遅れがちで、ビームス、アローズ、シップスがない首都圏の都市は千葉くらいだと言われてたんですよ。だからLUMIEREができて嬉しかった。

編集部:確かに、過ごした場所というのは大きいですよね。それぞれのスタイルのベース自体も10〜20代に作られている感じがするのですが、どうでしょう?

Y:10代にできているんじゃないですか?

S:そうそう、回帰する。

I:僕も大学時代と20代後半以降は、同じではないにしてもけっこう近い部分があるかも。大学卒業から25までは着る服もフラフラしてたけど、20代後半からはそんなに大きくは変わらない。たしか齋藤久夫さん(*3)も、男は25までは流行を追っていいけど25過ぎたらスタイルを固めるべきだとかそんな主旨のことを昔どこかで言っていました。

S:そういう傾向はありますね。

編集部:それって元々自分の好きな物が見つかったみたいな感じなんですかね?

S:僕は意識的じゃなく自然とそうなってきた。

THE NINE HEADSのブルゾンを手に取る井本氏

 

I:あとは、単にそれまで着ていた服が加齢で似合わなくなるっていうのもある。僕はさっき話したアタッチメントの黒いジャケットが、ある日急に似合わなくなった。

S:若い子をターゲットにしている洋服はいつの間にか似合わなくなってくるんですよ。興味もなくなるし。

I:ちょうどその話題があると思って、これ持ってきた。僕が高校3年のときに買った「THE NINE HEADS」のブルゾン。すごく気に入って20代半ばくらいまでずっと着てたけど、今は全然似合わない。

S:時代的なものではなく?

I:いや、たぶん違いますね。シルエットも細身とはいってもそこまで時代性が強いわけではないし。なのに今着るとその似合わなさに驚く。髪型もあるかも知れませんけど、たぶん自分の肌とか肉体のハリとかの変化だと思う。人生で一番袖を通すほど愛用してた服が似合わなくなるっていうのはかなり衝撃ですよ。

着る井本氏

 

Y:似合ってないかな?

S:傍から見てると余裕で良い感じですけどね。他人からの目じゃなく自分の目ということじゃないですか? 自分の視点が変わってくるんだと思う。僕も20代の頃は革ジャンが好きで何着も持っていたのに、今は絶対に着たくないもん。

Y:でも、あと何年か経ったら着られるようになる、みたいなことないですかね?

I:いや、どうかな~。

S:先のことはわかんないよね。

Y:僕は着られる着られないの変動って結構あるんですよ。全然着なくなっていた手持ちのギャルソンでも、ここ1、2年で久し振りに着られるようになった、ってアイテムはあります。さすがに20代のときみたいな全身ギャルソンはきついですけど。

居酒屋でチンチロを楽しむ山田さん

 

編集部:ちなみに、皆さん着なくなった昔の服も大切に保存されているんですか?

I:しばらく保管してましたけど、結局だいぶ捨てました。弟や友人知人にあげたり。

S:僕もだいぶ捨てましたね。着れなくて残しているのは古着として価値がある物。もしくは思い出とかエピソードがあるものだけ。

Y:僕もかなり捨てちゃいました。でも基本的にギャルソンは捨ててません(笑)。

(*3)齋藤久夫さん:1979年にファッションブランド「TUBE」(同名のバンドとは無関係)設立、同年よりビームスとアドバイザー契約を結ぶなど、現在に至るまで活躍を続けているメンズファッション界の大御所。特に90年代ごろまで雑誌など多くのメディアに登場し、服好きの青少年から大人まで幅広く影響を与えた。

子供が生まれると生活が変わる

 

編集部:皆さんその後ご結婚されていますよね。それを機に服を捨てたとかあります?

I:捨ててない。僕は一緒に6年住んでから入籍したから、生活が変わってないんです。

S:僕も結婚では捨ててないですね。

Y:僕は結婚を機にバリバリ捨てましたね。嫁はんとかなりケンカもしました(笑) 。あなたは狭い家で持てる私物の量を超えていると散々糾弾されました(笑)。

S:僕はかみさんが元々アパレルの人間だったから、結婚した当初はそこそこ理解があったんですよ。

Y:僕も企画会社での職場結婚だったんで、ファッションへの理解はあったはずなんですけどね…...。

S:今はまったく無い。怖いですよね。男みたいな、モノに対する思い入れはないから。

I:本当にそう。家内がミニマリストのような思想の持ち主で、片付けできないし物を持ちたくないと。ところが僕は物があればあるほど気分がいいんだよね(笑)。結局、服や靴だけじゃなくて、我が家の本やCDなんかもほとんど僕のもの。

S:俺もそう。かみさん、付き合ってる頃は5〜6万の物でもポンと買っちゃう人でこっちがビビってたのに、子供が生まれたら全然ですよ。俺が安い古着を買ってくると舌打ちされる。

I:そこは違うんだね。現実見てる。

 

編集部:結婚を機に変わったというよりも、制限されたって感じですかね?

I:うちは変わったのは、娘が生まれてからかな。

S:そう、結婚じゃなくて子供が生まれてから変わるよね。お小遣いになったし。

Y:僕は子供が生まれてから、汚されたり、破られたりしてもテンションが落ちない金額のものを買うようになりました。だから、ここ数年僕が買うものはユニクロ、GUが中心。休日遊ぶのも公園がメインになるとギャルソンなんかは着るのを躊躇するから、汚れても気にならない古着が中心になってくる。

I:世間で言われてるほどではないにしても、子供がいればどうしてもそれなりに出費は増えるわけだし。おむつが終わったとき、ほんとホッとして。こんな無駄な消耗品ね。

編集部:無駄な消耗品(笑)。

S:バカにならないよ。

I:布と紙を併用してはいたけど、うちは3歳までとれなかったから。もう終わった時の清々しさったら。

Y:外出のとき、荷物が減るしね。

S:そうそう、ミルクとおむつが終わるとお出かけしやすい。トイレも自分で行ってくれるし。

編集部:イクメンの話になっていますよ(笑)。

「自分に似合う服を探すには」〜ベーシックは一過性?〜

 

編集部:では、「自分に似合う服を探すには」という本題に入りましょうか。

Y:じゃあ僕から。僕はブログでずっと、ベーシックなデザインの服をお薦めしています。
さっきも言いましたけど、ファッション企画会社の仕事って来年はどんなものが流行るかって情報を売ることなんですよ。そういう仕事をずっと続けてると、トレンドの虚しさを感じてしまうんです。街を歩いている人を見ていたら分かるんですよ。「これって5年前に提案したデザインだな」というのが。

あと、給料が少なくて服をたくさん買うお金がないので、買うときにどれだけ着回しができるのかを熟考して買うようになりました。その結果、ベーシックなデザインの服が一番良い、いう結論に落ち着きましたね。

S:完全に同意ですね。

 

Y:ベーシックデザインに落ち着いた理由はまだあって。先程お話したストリートスナップの仕事は、とあるショッピングモールの来訪客を毎月300人撮影して、それを一人一人、どんな服を着ていたかを見て記録するんですよ。それで統計出して資料にするんですけど、その中に対象者のファッション感度が高い、普通、低いっていうのをつけなくちゃいけないってのがありまして。

I:残酷(笑)。

Y:たまに、ぱっと見でファッション感度が分からない人がいるんです。ベーシックなボタンダウンシャツにチノパンなんかを穿いているような人。でも、ぱっと見ではわからないけど、「靴がボロボロだから」だとか「髪がボーボーだから」とかで感度が低いことがわかるんです。

S:「神は細部に宿る」。

Y:ぱっと見ではわからない、ということは、ベーシックな服だけを着ていたらお洒落に見えるんじゃないの?という仮説を思いついたんです。

その会社を辞めた後に、原宿のキャットストリートにある会社で働いていたんですけど、あの辺ってアパレルの会社が多いじゃないですか。アパレルの企画職らしき人もたくさん見かけるんですが、そういう人が着ている服装ってベーシックなデザインが多いって気付いたんです。デザイナーのような、ファッションのプロ中のプロも愛用している、というのが今のベーシック最強説に至る次第です。

S:なるほどね。

 

Y:ベーシックデザインの服ならどんなキャラクターや年齢の人にも似合うし、どんな服でも合わせられる。さっき、年をとってきて全身ギャルソンが無理になったっていう話をしましたけど、今着ている結構アクの強いCOMME des GARCONS SHIRT(コムデギャルソンシャツ)のシャツも「グンゼ」のレギンスパンツに「Moonstar(ムーンスター)」のスニーカーっていうベーシックなデザインのアイテムに合わせると、アラフォーの今でも着られる。ベーシックデザインのアイテムってどんなデザインにもマッチするワイルドカードみたいな存在なんですよ。

編集部:ベーシックの定義が人によって微妙に違うかなと思うのですが、山田さんの思うベーシックってどんな感じですか? さっき言ったボタンダウンにチノパンみたいな?

Y:例えば、シャツならボタンダウンよりもレギュラーカラー、というようにデザインやディティールができるだけ少ないものですね。素材もオックスフォードよりもブロードのようなシンプルなもの。

編集部:匿名性が高いもの。アノニマスなものってことですね。

Y:だから、デニムよりもチノ。

 

I:僕は最初同じような考え方で。それこそ、オックスのボタンダウンとかだったりしたんだけど......。今の仕事をしているうちに、段々とベーシックっていうのが正直分からなくなってきたんですよね。自分の中で。

S:お店をやっていろいろ見てるとそうなるのかも。

I:永続性というか5年後10年後滅びないっていうことと、普通であるということがイコールじゃないんじゃないかと。

例えばギャルソンの服、10年後に見てもきっと古く感じない。でもどう見ても普通じゃないでしょ? だから、そこの時間を超越する話と普通とか定番であるということは必ずしもイコールじゃないんじゃないかと。

で、いわゆるベーシックであるということは時間の経過を経て、みんなのもの、パブリックなものとして存在しているけど、それはあくまで結果論であって。たとえばチノパンっていうのも最初からベーシックなみんなの普段着じゃない。

と考えると、逆に今ベーシックって言っているものが、ひょっとしたら一過性のものなんじゃないかって。だから最近は、難しいんだけどなるべくベーシックっていう言葉を控えるようにしている。

 

S:それはあると思う。割り込んじゃっていいですか? 今日の服装はシティボーイで話題になった白Tにデニム。僕はその前から着てるんだけど、実はこれ、ベーシックでも何でもないんですよ。「アメカジのコスプレ」なの。白Tに501って、昔から完全にコスプレだった。吉田栄作ね。

吉田栄作はこの恰好で紅白歌合戦に出てめちゃめちゃ話題になったんだけど、あの当時も鼻で笑われていて、かっこいいとは思われていなかった。

I:吉田栄作はあの整ったルックスと抜群のスタイルでかっこよく見せているだけであってね。

S:『POPEYE』でシティボーイが出てくるまで、無地は全然「定番」ではなかった。「ノームコア」の間違った認識として流行っただけ。ただ俺はたとえコスプレでもずっと前から着てたのに、急に流行りやがって(笑)。流行が俺に擦り寄ってきた(笑)。

I:うん、白いTシャツを自分の定番と言うならば、POPEYEのリニューアル以前から着ていてほしい気はする。

S:そう、そんなのはスタンダードじゃない。

I:という、ベーシックアイテムとかスタンダードとかの移ろいやすさを感じたの。特にブランド単位アイテム単位だと。リーバイスの501にせよ、バブアーのビデイルにせよ、それって誰かが決めた定番じゃないですか結局。レッドウィングが定番です、オールデンが定番です、でも生まれた時から定番なの?って。

くどいようだけど結果論ですよ。時間の経過に耐えた現時点での括り。だからあと数年で滅びるようなものではないわけだし、それを基本と呼ぶことがまったくおかしいわけではないんだけど。ただベーシックアイテムの定義を突き詰めて考えると、却ってだんだんわからなくなってくる。

S:なるほどね。

I:ただ、そうは言っても白いご飯的な土台は必要だと思うわけ。それがそこまでベーシックとか定番と呼ばれているアイテムでないとしてもね。

次回からは「じゃあ何から買えばいいの?」というお話に

 

前半戦は90年代座談会から現在に至るまでのお話に加え、本題の「似合う服を探すには」の序章部分まで。次回からは実際に何から買えばいいのか?という話がメインになっていきます。三人の議論もヒートアップしていくので、乞うご期待。

夏の座談会はこちら雑誌で振り返る、おじさんたちの90年代ファッション座談会〜前編〜
ショップスタッフの座談会はこちらお店の「ひと」からわかる「服」と「こと」。

FACY