アベノミクスによる景気回復は不思議なものであった、と久留米大学商学部の塚崎公義教授が振り返ります。

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アベノミクスが5年を迎えたのを機に、なぜ景気が回復したのかを振り返ってみましょう。実は、わかっていないことも多く、識者の間でも様々な考え方があるのですが、本稿は筆者なりの考え方をご披露するものです。

3本の矢は金融政策、財政政策、成長戦略

アベノミクスは「3本の矢」を掲げました。金融政策、財政政策、成長戦略です。そのうち金融政策と財政政策は需要を増やして景気を良くするためのものですが、成長戦略は供給サイドを強化するためのものなので、景気とは直接関係ありません。

経済成長には需要と供給がバランスよく伸びることが必要なので、金融政策と財政政策で需要が増えた時に供給力不足に陥らないように供給力を強化しよう、言い換えれば景気が良くなっても景気過熱によるインフレが生じないようにしよう、というのが成長戦略なのです。

たとえば、「保育園を作ろう。そうすれば、需要が増えて企業が生産を増やして雇用を増やそうとした時に、子育て中の女性が働きに出ることができるので、労働力不足によるインフレなどが回避できるから」といったものが成長戦略です。

もちろん、保育園を建てるための建設労働者の雇用や保育園の従業員の雇用などが増えるので、景気を回復させる効果もありますが、それは成長戦略の主眼ではありませんから、本稿では考えないことにしましょう。

そうだとすれば、なぜ景気が回復したのかを考える際には、成長戦略のことは考える必要がありません。そこで本稿では、金融政策と財政政策について論じることとします。

財政政策は、当初は成功したが続かず

財政政策には公共投資と減税がありますが、日本では公共投資が中心となることが多く、アベノミクスも例外ではありません。アベノミクスは国土強靭化計画を掲げて積極的な公共投資を試みました。

最初は景気回復に寄与したのですが、間もなく建設労働者の不足が深刻化し、予算を付けても工事ができないので予算が増やせない、といった状況となりました。長期にわたり公共投資予算が削減されてきたため、熟練労働者が減少していたことが制約要因となったとも言われています。東京オリンピックが決まってからは、民間の建設プロジェクトとの間で建設労働者の奪い合いも起きています。

したがって、公共投資自体はそれほど増やせませんでしたが、これが起爆剤となって景気を回復させた効果は間違いなくあったはずです。

景気は、ひとたび回復を始めると、そのまま回復・拡大を続ける性質があります。公共投資で雇われた元失業者が受け取った給料で消費財を購入すると、売り上げが増えた消費財メーカーが増産のために失業者を雇う、といった連鎖で景気が回復を続けるからです。

金融緩和の効果を巡っては、理論的な議論あり

ゼロ金利下で日銀が国債を大量に購入しても、金利は下がりません。それでも景気を回復させる効果があるのか否かは、識者の間で大きく意見が分かれています。効果がある、というのが黒田日銀総裁をはじめとする「リフレ派」です。

リフレ派によれば、世の中に国債購入代金が出て行くことで、世の中にある物の量と資金の量の比率が変わります。すると、物の値段が上がるのです。水よりダイヤモンドが高価なのは、希少だからです。物の量が変わらずに出回る資金の量が増えれば、物が希少になるので「資金より物が欲しい」という人が増える、というわけです。

そうして物の値段が上がる(インフレになる)と、人々は買い急ぎをするようになります。それによって景気が良くなる、というわけです。「インフレになると実質金利が下がる」と説明されることもありますが、基本的に同じことだと考えて良いでしょう。

株やドルの値段についても同様ですから、世の中に資金が出回れば株価も上がり、ドル高円安になり、それも景気を回復させるはずだ、ということになります。

一方で、世の中に資金が出回っても、受け取った人は銀行に預金するだけなので、物価も株価も値上がりせず、景気も良くならない、という識者も大勢います。識者の間で理論的な対立があるのです。

偽薬効果で株とドルが値上がりした

論争は、意外な展開をします。日銀が巨額の国債を購入しても、世の中に資金が出回らなかったのです。日銀に国債を売却した銀行は、日銀から受け取った代金を貸出に用いるのではなく、日銀に預金(準備預金と呼びます)したのです。資金は銀行にまで出て行っただけで世の中には出回らず、日銀に戻ってきてしまったのです。

筆者をはじめとする銀行関係者は、そうなることを予想していました。銀行が国債を持っていたのは、融資先がないからです。それなら、金庫の中の国債が札束に置き換わったところで、貸出が増えるはずがありませんから、別の国債を買うか日銀に預金するか、選択肢は二つしかないのです。

しかし、世の中の「黒田教信者(失礼)」たちは、「黒田日銀総裁が世の中に資金を出回らせると言っているのだから、世の中に資金が出回って、株価やドルが値上がりするに違いない。今のうちに株やドルを買っておこう」と考えたのです。

大勢の黒田教信者が株やドルに買い注文を出したので、株やドルが値上がりしました。それにより、人々の気分が明るくなって景気が回復した、というわけです。

余談ですが、筆者も株とドルを買いました。黒田理論が誤りであることは知っていましたが、「黒田教信者たちが株やドルを買うだろうから、株やドルは値上がりするだろう」と考えたからです。市場はケインズの言う「美人投票」の世界ですから、誤りであっても皆がすることを(他人より早く)するべきなのです。

結果として筆者の予測は当たり、少額でしたが利益を得ることができました。それで何度か飲みに行ったので、筆者もアベノミクスによる景気回復に貢献したことになりますね(笑)。

上記のように、本来は値上がりする理由のない株やドルが値上がりして景気を回復させたわけです。これを筆者は「偽薬効果」と呼んでいます。医者が患者に「良い薬だ」と言いながら小麦粉を渡すと患者の病気が治ってしまうことがあるそうです。それと同じことが起きたわけですね。

金融緩和の効果が偽薬効果だとすると、これ以上超緩和を続けても意味は薄いということになりかねません。それが「そろそろ金融緩和を終了してはいかが?」といった議論につながるかもしれません。筆者は、そう考えているのですが、その話は別の機会に。

GDPの伸びは緩やかだが、雇用は絶好調

上記のように、不思議な景気回復だったわけですが、景気が回復してからも不思議なことは続いています。

大幅なドル高円安なのに輸出数量はほとんど増えていません。雇用者数が大幅に増えていて、雇用者全体の所得は大幅に増えているのに個人消費はほとんど増えていません。企業収益は絶好調なのに、企業の設備投資はあまり増えていません。株価も、最近まで上がりませんでした。

これはおそらく、バブル崩壊後の長期不振の間に、企業にも家計にも投資家にもデフレマインドが染み付いて、少し良いことがあっても「どうせ遠からず悪いことが起きるだろうから、投資等はせずに様子を見よう」という判断が働いているのでしょう。そうだとすれば、最近になってようやくデフレマインドが緩み始めた兆候が各所で見られるのは明るいことだと言えますね。

普通は、景気が回復するとGDPが大きく増えます。しかし今回は、デフレマインドの影響もあって、GDPの伸びは緩やかです。要するに、景気回復が緩やかなのです。だからこそ景気回復が長持ちして、景気回復期間が「いざなぎ景気」を上回っているわけです。

GDPの伸び率が低い割には、雇用情勢は絶好調です。少子高齢化で現役世代の人口が減っているのに、雇用者が増えているため、失業率は下がり、有効求人倍率が上がっているのです。高齢化で医療や介護といった労働集約的な産業の需要が伸びていることが背景にあるのでしょうが、アベノミクスによる変化としてはデフレの終焉が挙げられるように思います。

デフレ時代は、顧客が安さを求めていたため、企業は人件費等のコストを切り詰めて安く売ることが重要でしたが、昨今は値段よりサービスを重視する顧客が増えているようです。

たとえば、アマゾンで買うと他店より安いわけではありませんが、配達してくれるので便利です。その分だけ配達の労働力が必要となり、日本経済全体としては雇用の好調(逆から見れば労働力不足)となっているのでしょう。

本稿は以上ですが、財政収支や国際収支などについての基本的な事項は拙著『一番わかりやすい日本経済入門』をご参照ください。なお、本稿は厳密性よりも理解しやすさを重視しているため、細部が事実と異なる可能性があります。ご了承ください。

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塚崎 公義