明治政府誕生で、全国で通用する紙幣が初めて発行される

年末ジャンボ宝くじ(第731回全国自治宝くじ)が22日まで発売されていました。1等、前後賞を合わせた当せん金は10億円です。1万円札だと10万枚。お札(さつ)の厚さは約0.1ミリメートルなので、積み重ねると約10メートルもの高さになります。

ところで、日本にお札(紙幣)が誕生したのはいつ頃かご存じですか。

日本銀行金融研究所貨幣博物館によれば「1600年頃、伊勢の山田地方で、神職でもあった商人(御師)により秤量銀貨の釣り銭の代わりに山田羽書(小額銀貨の預り証)が発行され、紙幣として同地域で流通した」のが始まりだとか。最初は私札だったのです。その後、各藩で藩札が大量に発行されました。

全国で通用する紙幣が発行されたのは、明治政府誕生以降です。1868年(明治元年)に初めての政府紙幣「太政官札(だじょうかんさつ)」が発行されました。ただし、独立行政法人国立印刷局によれば「単純な製法のため偽造券が多発した」そうです。

そのため、ドイツや米国などに製造を依頼し、「明治通宝札(十円券)」、「神功皇后札(十円券)」、「国立銀行紙幣(十円券・旧券)」などを発行しました。国産第1号の洋式紙幣は1877年に発行された「国立銀行紙幣(5円券・新券)」です。

日本銀行誕生のきっかけは、西南戦争による激しいインフレ

日本で初めて全国通用の政府紙幣「太政官札」が発行されて、間もなく150年になります。お札の発行に関して大きな転機となったのが、1882年に日本銀行が誕生したことです。

当時の紙幣は金や銀と交換できる兌換(だかん)券でした。しかし、1877年に西南戦争が勃発したことから、大量の政府紙幣や国立銀行紙幣が発行され、激しいインフレーションが発生し、実際には金銀と交換できない不換紙幣になっていました。

そこで、当時の大蔵卿(現在の財務大臣)に就任した松方正義が、「不換紙幣の整理をはかるため、正貨兌換の銀行券を発行する中央銀行を創立し、通貨価値の安定を図るとともに、中央銀行を中核とした銀行制度を整備し、近代的信用制度を確立することが不可欠であると提議し」(日本銀行の資料より)、1882年6月に日本銀行条例が制定され、同年10月10日に日本銀行が業務を開始したのです。

1885年には最初の日本銀行券「大黒札(十円券)」が発行されました。その後、日本銀行券は円滑に流通し、整理が進められていた国立銀行紙幣と政府紙幣は1899年末に通用停止になりました。

「大黒札」は銀貨と交換できる兌換銀券でした。当時、欧州の主要国は金本位制でしたが、日本に蓄積していた正貨が銀だったためです。1897年には日本も金本位制となり、金貨と交換できる紙幣も発行されました。

日本銀行兌換券の発行はその後1930年代まで続きましたが、ウォール街での株価大暴落をきっかけに金本位制が崩壊。日本も金本位制から離脱し、通貨の発行量は中央銀行が調節することになりました。1943年以降は「兌換」券でない、「日本銀行券」が発行されることになりました。

日本のお札の偽造防止技術は世界でもトップクラス

「日本で現在発行されているお札(日本銀行券)は、「一万円券」「五千円券」「二千円券」「千円券」の4種類です。過去に発行されたお札の中にも有効なものがありますが、買い物などの際には額面上の価値しかありません(骨董品としての価値は除く)。

お札を発行しているのは日本銀行ですが、印刷をしているのは国立印刷局です。国立印刷局はお札以外にも、旅券(パスポート)、印紙、収入証紙、郵便切手、住民票や印鑑登録証明書などの証明書台紙などの製造も行っています。

日本のお札の偽造防止技術は世界トップクラスと言われています。凹版印刷などのさわってわかる偽造防止技術のほか、「すかし」「すき入れ」、「ホログラム」「潜像模様」「特殊インキ」など、多様な技術が使われています。

2016年末時点で、国内に流通しているお札は合計で102.5兆円(枚数では160.3億枚)だったそうです。お札の平均的な寿命は一万円券では4~5年程度で、釣り銭などでやりとりされることの多い五千円券と千円券は、1~2年程度だとか。

ちなみに、日本銀行に戻ってきたお札のうち再流通に適さないものは裁断されて建材や固形燃料、トイレットペーパーなどにリサイクルされたり、焼却処分されたりしています。

注:この記事は、以下のサイトを参考にして作成しました。
日本銀行
日本銀行 金融研究所 貨幣博物館
独立行政法人国立印刷局

上山 光一