約26年2カ月ぶりの日経平均株価24,000円が目前に迫る

1月15日の東京株式市場は続伸となり、取引時間中に一時+247円高(前日比、以下同)の23,962円まで上昇し、節目と言われる24,000円まであと38円に迫りました。終値でも+236円高の23,951円となり、これは1991年11月以来となる26年2カ月ぶりの高値でした。

翌16日はやや調整して▲83円安の23,868円で終わったものの、依然として24,000円の大台をうかがう位置にあります。

仮にこの勢いを維持して24,000円を付けるとすれば、前述した1991年11月以来となります。まだ日経平均株価の25,000円前後がごく当たり前だった26年前の1991年はどういう時代だったのでしょうか?

この記事を読んでいただいている方の約4割程度(注:筆者推測)はまだ生まれていなかったか、物心ついていなかったと思われる1991年を簡単に振り返ってみましょう。

日経平均株価の過去2年間の推移

26年前の米国NYダウはわずか3,200ドル弱に過ぎなかった

1991年の日経平均株価は概ね25,000円前後で推移し、高値が27,270円(3月)、安値が21,123円(12月)でした。1989年末の史上最高値からは既に1万円以上下落していましたが、今後の反転への期待は高まっていました。しかし、翌年1992年8月には14,194円まで暴落し、その期待は一気に剥落しました。

ちなみに、1991年の米国NYダウは3,168ドル(年末終値)でしたが、26年後の現在は26,000ドル付近にあります。

1991年11月発足の宮沢内閣は最後の自民党単独政権

1991年11月は、自民党の海部俊樹首相が退陣し、同じ自民党の宮澤喜一氏が新たに内閣総理大臣に就任しました。そして宮沢内閣が発足するのですが、これが26年後の現在に至るまで最後の自民党単独政権となっています。

これ以降、総選挙で単独過半数を大きく上回る大勝は何度か起きましたが、全て連立政権という形です。自民党が野党に下った2回(1993年、2009年)も、与党は連立政権でした。今振り返ると、26年前までは一つの政党(=自民党)が単独で政権を担うのが当然だったのです。

また、皇室に目を向けると、2月に「立太子の礼」が行われました。これにより、当時の浩宮徳仁親王が正式に皇太子(現在)となられました。その皇太子さまは来年2019年には天皇に即位することになります。

湾岸戦争が勃発、日本の国際貢献のあり方は現在でも大きな議論に

世界では1月に湾岸戦争が勃発しました。これは、前年(1990年)にクウェートへ侵攻したイラクに対して、米国を中心とする多国籍軍が空爆を開始したものです。

多国籍軍が圧倒的な軍事力でイラクを撃退し、3月に休戦協定が成立しましたが、解決はやや曖昧な形でした。また、イラクのフセイン大統領が権力を維持したため、2003年のイラク戦争へと繋がっていきました。

なお、この湾岸戦争において、資金面での協力しかできなかった日本に対して各国から批判が高まり、その後の自衛隊派遣が実施されるきっかけになりました。そして、紛争解決への国際貢献のあり方は、日本の安全保障問題へと発展し、今日現在でも議論されているところなのです。

大相撲では千代の富士と大乃国の2横綱が引退

大相撲では5月に横綱・千代の富士が引退し、7月には横綱・大乃国も引退しました。なお、千代の富士が引退を決意したと言われるのが、新鋭の貴花田(当時は前頭筆頭)に完敗したことです。貴花田はその後、貴乃花として横綱へ昇進して一位時代を築きました。

貴乃花(現在は親方)が昨年11月に起きた一連の暴行事件において、当事者の一人になったのはご存じの通りです。

その他のスポーツでは、IOC総会で’98長野五輪開催が決定して歓喜に沸きました。また、プロ野球ロッテの千葉移転の決定や、Jリーグの発足(開幕は2年後)が認可されるなどのニュースがありました。

チャーリー浜が流行語大賞、アイドルグループSMAPがCDデビュー

今では年末行事としてすっかりお馴染みとなった「新語・流行語大賞」ですが、1991年の大賞は吉本興業のチャーリー浜による『…じゃあ~りませんか』が選ばれました。

それまでも芸能人やタレントの発言が流行語になることはありましたが、いわゆる“お笑い芸人”による受賞はこれが最初と言っていいでしょう。昨今では、お笑い芸人が金賞(以前の大賞)を受賞することも珍しくありませんが、当時は非常に衝撃的でもあったようです。

なお、芸能界では、この年の9月にアイドルグループSMAPがCDデビューを飾りました。当時は6人組でしたが、その後に国民的アイドルグループになると予想した人は少なかったでしょう。当時のCDジャケットを見ると、あのような形での解散は想像できません。

将来に対する悲観は非常に少なかった26年前

こうして振り返ると、当時は何気ない些細なこととして扱われたものの、今からすれば大きな節目になったニュースが少なくなかったように思われます。さらに、バブル崩壊は認識していた一方で、将来に対してまだ楽観的だったように感じられます。少なくとも、将来を悲観するような見方は非常に少なかったと思われます。

もし、タイムマシンがあるならば「安心するな。株価が24,000円に戻るまであと26年かかるぞ」と警告してあげたくなるのは筆者だけでしょうか。

LIMO編集部