子どものことは素直にほめられるのに、夫や妻のことはほめられないという人もいるのでは。ほめようにもほめるところがない、それどころか愚痴ばかりが出てくるのが正直なところなんてことも。

第1子の産後、筆者もそうでした。いわゆる産後クライシスをこじらせること約7年。ほぼ自分1人で育児と家事をこなし、「自分ばかり損をしている」と思う日々。心身ともに疲れ果て、夫をほめるなんて考えもしませんでした。

とはいえ、責めても、愚痴っても、怒っても何も変わらない。何をどうすれば良いのか、わからなかったのです。

ケンカで相手が変わっても気持ち良くない

夫に家事や育児を手伝ってほしくて、愚痴を言ったり、夫婦喧嘩をしたり。責めたり怒ることで、相手が変わることもあります。それでもたいていは、すぐに元通り。お願いしたいことが習慣化することはありませんでした。

何より「ケンカをして相手に変わってもらっても気持ち良くない」と強く思いました。その時だけ手伝ってくれたとしても、無理やり動かされた方は納得せず、イライラしながら言われたことをやる。やってもらうこちらも、「ケンカで相手を動かした」というのは非常に後味が悪いものです。

この悪循環から抜け出すには、どうすれば良いのか。お互いが気持ち良く変われるには、どうしたら良いのでしょうか。その答えは子育てにありました。

お互い気持ち良く変わりたい

怒られると子どもは泣いたり、落ち込んだり、反発します。たとえば明日の学校の用意をしない子どもに、怒ってさせたとします。明日の用意ができても、その後も親子ともに後味が悪いもの。なかなか習慣化もしないでしょう。たとえ習慣化しても、「親に怒られるから明日の用意をする」という本来の目的とは違う動機付けをしてしまいます。

一方で、最初に「いつ明日の用意をする?」と子どもに意見を聞くと、「学校から帰ってすぐは疲れるから、お風呂に入る前に明日の用意をしたい」など自分の考えや本音を話すもの。始めたところでほめると喜び、何度か繰り返すことで習慣化されます。何より、お互いが気持ち良くいられます。

相手の意見を聞き、ほめる。夫婦間で、同じことができないのはなぜでしょうか? 夫婦が同じ立場にあるからでしょう。やってもらっても「それぐらい当たり前」だし、むしろ「できない部分」ばかりに目を向けてしまいます。

パートナーをほめられない自分は、できない部分ばかりに目を向けている――そう気付いてから、まずは当たり前にしていることからほめるようにしました。他人を変えることはできませんから、まずは自分が変わるのです。

優しさが人を変える

ほめるといっても、ヨイショする必要はありません。まずは「仕事お疲れさま」とありのままを話すだけで十分。たまに手伝うときがあれば、「疲れてたから助かる」と自分の気持ちを伝えます。そうするとパートナーも笑顔になりますし、以前よりも会話が増えます。「優しさが人を変える、人間関係を変える」ことを学びました。

慣れてきたら、「疲れてるのにありがとう」などの労いや「子どもとの時間がとれて私も嬉しい」といった言葉をプラスします。次第に夫も家事をするようになり、時々忘れるもののほぼ習慣化されるようになりました。

自分が楽しいのが一番

ほめるのも、最初はモヤモヤしたり、イライラするときもありました。ただ、ほめるようになって発見もありました。

「ほめる=当たり前を当たり前と思わない、周りの良い面を見る」ということ。ほめていると、段々と些細なこと、当たり前のことでもほめられるようになってきます。何に対しても、何が起きても良い面や希望を探します。一方で、ほめられないのは、何に対しても悪い部分にしか目がいかないから。何をやっても「それくらい当たり前」と流し、ダメな部分を探すのです。

幸せは、毎日の中に小さく散りばめられているもの。ほめるようになってから、当たり前を当たり前と思わないことで、小さな幸せに気付くようになりました。以前より毎日を楽しく感じられるようになったのは、大きな収穫でした。

今では日常的にほめられるようになりましたが、それは何よりも自分が楽しいから。何事も、まず自分も楽しくなければ続きませんよね。自分も楽しいことが、周りも楽しい気分にさせる。こういった良い循環があることを、私は産後クライシスで学びました。

「北風と太陽」ではありませんが、責めても、愚痴っても、怒ってもダメなら、ほめてみるのはどうでしょうか。もちろん自分に無理のないペースで、始めてみてください。

宮野 茉莉子