正しければすべて良いわけじゃない――そう気づいたのは、家族ができてからでした。子どもに、パートナーに、「いかに自分の意見は正しいか」を説明します。どこからどう考えても自分の意見は正しいだろうし、専門家も同じことを言っていたし、世間でも多くの人が「正しい」と言うだろう意見。

それでも家族は、首を縦にはふりません。不機嫌になったり、怒ったり、嫌なムードになるばかり。正論を言われた家族が傷ついていることに、私は気づいていなかったのです。

正論は「あなたは間違っています」と言うのと同じ

正論がどれだけ人を傷つけるのか。「夫→妻」「妻→夫」「親→子」の例で見てみましょう。

  • 帰宅したら床にはオモチャが散らばり、米粒も落ちていました。夫は妻に「昼間少しは掃除したら?」と言いました。

→妻からすると、「掃除をしてない」と言われたのと同じ。「昼間ヒマなのに何しているの?」と問われたようにも思うでしょう。今日は子どものイヤイヤが激しかったり、体調が優れなかったり、もうこれ以上1人で子育てを頑張れないというサインかもしれません。理由はスルーで指摘だけされ、傷つくことでしょう。

  • 子どものオムツ替えをする夫に、「もう少し優しく拭いてあげてよ。あーそれじゃあお腹が苦しくなるから、少し緩めにテープをしめて。丁寧にしてあげてね」と、妻は言いました。

→夫からすれば、自分のオムツの替え方は間違いだと指摘されたのと同じ。ママよりは赤ちゃんと一緒にいる時間も短く、全くわからない子育てをパパとしてどう手伝おうと手探り状態の中、少なからず傷つくことでしょう。パパとして頑張ろうという意欲も、少しそがれるかもしれません。

  • 急須からコップにお茶を汲もうとした子どもに、「何してるの! こぼしちゃうからやめてよ」と親が止めました。

→子どもが何か新しいことを始めるときは「親に喜んでもらいたい」という気持ちもありますから、お茶を汲んでママにあげたら、「ありがとう」と喜ぶと思っていました。いつもやっているママの真似をしたいとも思ったのでしょう。そういった考えや思いもないことにされてしまい、「ママに怒られた」と悲しくなります。

傷つくと、伝わらない

正しいことを言う人が、「相手を傷つけている」と自覚しているなら問題はありません。その配慮は、言い方や言葉選びといった形で伝わるでしょう。相手も「気持ちをわかってもらえた」と傷ついた心が癒され、そうして初めて聞く耳が持てるのです。

一方で、「自分は正しいことを言ったし、良いことをした」と自分の正しさにしか目が向いていない場合。「いかに自分が正しいのか」を主張することばかりが頭にあり、相手の気持ちにまで配慮がいきません。それどころか、「何でこれくらい分からないの」といった相手への不満で頭がいっぱいに。

傷ついた相手は、あなたの言葉が心にまで届かないでしょう。「自分はこんなに傷ついた。自分の気持ちをわかってもらえないし、聞いてさえもらえない。悲しい」といった気持ちで頭の中はいっぱい。何を言われても馬耳東風で、言いたいことも伝わりません。

感情を軽視していないか

正しければ良いと思っていた私は、感情を軽視していました。論理的であることが、感情より上だと思っていたのです。

しかし人間に対する場合、感情は重要です。そもそも人間は感情の生き物。理性と感情が相互に作用し合っています。感情が正常状態になければ、理性も正常に作用しません。理性に訴えたかったら、同時に感情のケアも大切なのです。

正しさは人によって違う

正しさも、人によって違います。前述の例を違う視点で見てみましょう。